窓の外に目をやると、いつのまにか春は駆け足で過ぎ
眩しい新緑が一面に広がっています。
『あれは・・あの黄色い花はなんていう花なんだろ・・』
『あれは花じゃなくて葉っぱみたいですよ、トヨ様。
新緑が出てきたんですねぇ』
『なぁに?しんじゅく?』
『新緑、葉っぱです。は・っ・ぱ!』
耳の近くではっきりと発音しないと、トヨ様の耳に私の話は聞こえません。
『ああ・・葉っぱ』とかすかに笑ってまた、窓の外に目をやります。
『早いねぇ。もう夏がくるの。』

今日のお話は、以前”Vol6.鏡”でご紹介したおばあちゃまの山田様のお話。
これはとても個人的な話になると思います。

今まで数々の患者様の最期を見送ってきました。
短時間パートの私たちは、直接患者様を看取ることは殆どありませんから
後日いなくなった後に他の介護士や看護婦の方に聞くのです。
亡くなったのよ、と聞くと、どなたが亡くなっても胸が痛む思いはしましたが、
ひと時感傷に浸った後は仕方ないとあきらめ、また仕事に戻るという毎日でした。
ただ、私はおそらく山田トヨ様だけは、
”絶対泣く”と常日頃思っているのです。
トヨ様は毎日風邪もひかずに、元気で過ごしていらっしゃいました。

ナースステーションの前にある個室は通称看取り室と呼ばれていまして
重体の患者様が大抵ここで最期を迎えられます。
普段は空き部屋になっていますが、ここに入って、心拍などを計る機械がつけられると
もう次の日にはその部屋はカラになっていることが殆どです。
(もちろん無事回復される患者様もいます。)
2週間ぐらい前だったでしょうか
またあの部屋に患者様が入りました。
誰だろうと名前をみると、トヨ様の名前がそこにあるではないですか。
ナースステーションでは「ピッ、ピッ、ピッ」という規則的な音。
私はひどく動揺してしまいました。
病室の中の様子はカーテンが邪魔をして見ることができません。
”どうしたんだろう・・・倒れたのかな・・・肺炎にでもなったのかな・・・”
考えただけで喉の奥がツーンと詰まるような思いがしました。
仕事が終わってから昼食をとっている介護士さんたちに
それとなく聞いてみました。
『山田様、良くないんですか?』
介護士さんたちが口々に『一時は危なかったけどねぇ』
『食事を採らなくなってしまったの』『脱水症状だったみたい』
『もうだいぶ回復したみたいよ』と教えてくれました。
そのときの私の気持ち、どう説明したらいいんでしょうね。
よかった〜という気持ち。まだ心配な気持ち。
私にとってトヨ様は本当のおばあちゃんみたいな存在でしたから。

次の日行くと、もう機械は取れていて、
カーテンが開いていました。
その日私はその部屋の担当だったので、そっと中に入りました。
トヨ様は起きていて何処か一点をじっと見つめていました。
この部屋には窓がありません。
ここからは外の新緑も見えません。
トヨ様は何処を見つめているのでしょう
私は泣きたくなるような気持ちを抑えて、わざと元気に
『トヨ様っこんにちは。』と声をかけました。
気が付きません。もう一度『こ・ん・に・ち・は!』とお顔を覗きこむように
視線の前に出て言ってみました。
『あ・・・ああ。』
思い出すように私の顔を見つめて微笑むと、ゆっくりと左手を伸ばして
私の顎を、猫を撫でるように優しく撫でてくれました。
こらえましたよ、涙を(笑)
『具合はどうですか?大丈夫?』と聞くと
『ん・・大丈夫よ』と答えが返ってきました。
『早く前の病室に戻りましょうよ。ここじゃ花も木も見えないでしょう?
早く元気になって、明るい病室に戻りましょう』

数日後、トヨ様は無事もとの病室に戻ることができました。
珍しく午前中からトヨ様のご家族がみえていて、
『もう元気になったから家に帰るよぅ』と息巻いていました(笑)
困った顔のご家族と『前より元気になられましたね』と笑う看護婦さん。
でも、トヨ様が帰っちゃったら、私が寂しいんだけどな。
窓からは茂った新緑と目一杯の光がたくさん入ってきていました。

-NEO-

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